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マッサン旋風 No.1

column

コラム「人と経営」

マッサン旋風 No.1

1.余市の風

今から約80年前、北海道余市でウイスキーの蒸留が始まった。遡ること10数年、大正13年に山崎で日本で始めてのウイスキーの蒸留は同人物の竹鶴政孝が行い、NHK朝ドラ主人公のモデルだ。

余市は、積丹半島の入り口にり、ウイスキー蒸留所を除けば大きな産業は無い。2万人強の人口に、比較的温暖な地域で果樹園が広がっているなどワイン用ぶどうの産地として最近は注目されている。

のどかでは有るが、街としても機能している。小樽から車で約30-40分、豪州からのスキー客で賑わうニセコへも近い。スコットランドに似た気候(涼しく、湿り気のある)が竹鶴を呼び寄せた。

2.歩む世界が違う

サントリーもニッカも、蒸留後まもなく日本人の舌に合わないウイスキーの販売で苦戦した。しかし、その苦難を救ってくれたのが日本海軍であったのは、何とも皮肉だが、海軍指定工場で生き残った。

戦後、両社の違いが明確になる。サントリーは、占領軍GHQのお墨付きをもらい、その上格安の商品を世に送り出し、確固たる地位を築く。
しかし、ニッカは品質に拘り10数年も遅れて背中を追う。

経営者の考え、信念の違いが戦略にまで現れる。サントリーは日本を飛び越え、世界に挑む。ニッカはアサヒビール子会社として地道に歩む。
日本初のウイスキーを世に出した竹鶴政孝が両社を導いた。

3.ウイスキーの原点

京都山崎蒸留所と北海道余市蒸留所は引きも切らない見学者で、ごった返している。日本のウイスキーが世界での評価も高く、竹鶴政孝が勉強をしたスコットランドを上回ったとも言われている。

高度成長期に売れに売れまくったウイスキー。団塊の世代にとっては、青春の一頁を刻んだ想い出のつまった飲み物だ。ワインや焼酎ブームが訪れ、若者はウイスキーどころかアルコール離れを起こしている。

人口減少に見舞われる国内。日本に見切りをつけ海外を視野に入れる酒類メーカーも有る。ウイスキーの飲み方を今まさに提案すべき時ではないだろうか。ハイボールもいいが、原点に戻って見ればいい。

(Written by 川下行三 15/02/27)
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