コラム「人と経営」
逃げる人々、戦う世代 No.2
1.東西冷戦の終結
今から20数年前、ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月10日。その前年、1988年11月にバルト三国のエストニアが主権を宣言。1989年7月、リトアニア共産党がソビエト共産党からの独立を宣言。
翌年、1990年東欧諸国の国々での選挙でことごとく共産党が敗退。ロシアも6月に主権を宣言し、ソ連から離脱。しかし、ソ連はバルト三国に対して軍事介入、死者が出る流血騒ぎとなった。
この対応を巡って、ソ連国内の批判が高まる。1991年8月、ゴルバチョフへの反改革派のクーデターが起こり、モスクワは大混乱に陥る。直ぐに収束はしたが、ソ連共産党は事実上解散。
バルト三国は独立を勝ち取った
2.バルトに訪れた平和
バルトの小さな国々の国民が行動を起こし、ソ連の崩壊に繋がった。
世界的な歴史の転換がバルト海に面した港町から拡がったことの意義は大きい。今もリトアニアやラトビアの旧市街にはその痕跡が残っている。
東西冷戦は第二次大戦後、40数年続きソ連共産党の解党により、東西が睨み合うその構造に終止符を打った。しかし、米国の一人勝ちは中東地域との混乱を招く新しい火だねをつくる結果になった。
世界の秩序は、国連主導で表向きは推進をされているが、米国、EU、中国の三極の動きに小さな国々は翻弄されて行く。アフリカでの民主化が中東に飛び火し、混沌とした世界地図へと塗り変わろうとしている。
3.ポスト資本主義
1989年、日本ではバブル景気の真っ只中。1989年12月、日経平均株価は、38,915円をつけた。1989年10月、三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買収。世界をあっと言わせた。
冷戦が終結し、世界のルールが変更される時、日本は企業も国民も有頂天になっていた。1992年のバブル崩壊後、20数年にわたる暗くて長いトンネルを走り続ける。
日本の置かれている状況、世界の動きを常に観察しながら次の手、戦略を打たなければならない。資本主義にも大きな問題を抱えている事が、リーマンショックで明らかになった。
社会や世界にどうあなたは貢献して行くのか、改めて自問して欲しい。
それが、戦う世代に与えられた命題だと思う。