コラム「人と経営」
共に感じる場が社会を救う No.1
1.歪みは社会に現れる
最近、全国で家族の崩壊が垣間見えるような悲惨な事件が多発している。
息子が両親を刺殺する。普通の家族が何故?と近隣の人々は驚く・・・。
家族が一つ屋根の下に暮らしているから、子どもの事はよく解っているは通用しない。引きこもり、登校拒否、精神に不安を抱える若者は多い。
しかし、その原因は学校だけではなく家族というシステムに起因する場合が多い。
2.共有体験、共同体験の不足
家族は一つの共同体験の一番小さな単位である。両親と子ども、祖父母がバラバラに過ごすのではなく、同じモノを見、同じ場に存在する事で共有体験が出来る。
しかし、個室や個電(一人一台のテレビなど)が普通になり、茶たくやテーブルを囲む家族が少なくなった。1983年、森田義光監督の「家族ゲーム」で横一列に並ぶ家族が描かれた。あれから20年、深刻さが増す。
隣の人は何する人ぞから、うち(家)の息子(娘)は何するひとぞ。共有体験が目に見えて無くなった。父親の働く姿を知らない子どもが普通だ。一緒に何かをする、共に感じる、同じ時間を共有する事の大事さを忘れている。
3.会社の中も体験不足
仕事場はどうだろう。チームで仕事をする。役割分担をし担当を決める。
仕事は細分化しより専門的になる。同僚が何をしているのか、向かいの席の人は誰なの。こんな職場も珍しくない。
一体感を高める。チームワークを築く。これは簡単なようで難しい。A社は社員旅行を復活した。社内同好会などのクラブに対しての援助制度を新たに設けた。かけた費用以上の効果があると言う。
新入社員歓迎会の前に、社員全員でウォークラリーをするB社。共有体験の貴重な場だ。仕事では見えない上司の思わぬ面が見えてくる。ちょっとした事でコミュニケーションが促進される。
情報の共有化はメールで出来たが、組織は強くならない。行動の共有化が組織活性化の鍵になる。